私が孤独と縁があるように、母は病気と縁があった。子供の頃から悪かった歯は40代前半で入れ歯と化し、足は厄介な巻き爪。腰痛、肩こり、目の充血はもはや持病で、ポケットにはいつも飴玉が入っていた。食事中、醤油やマヨネーズをいくら「かけ過ぎ」と注意しても聞かず、帰宅は毎晩8時半近くで、どんなに仕事や人付き合いの大変さを言われても、「洋ちゃん」の愛称で皆に愛されてる母は、娘の私にはひどく羨ましい存在だった。
 帰宅すると、そのままコタツでイビキをかいて寝てしまう程の疲労の中で、倒れる1・2年前からは、週1回、日本舞踊のサークルにも参加し、練習後、仲間とのオシャベリは深夜2時まで続いた。
 そんな生活を思えば、母の年齢的にも病で倒れる可能性は十分あり、しかしながら、身内が救急車で運ばれるなどドラマの中の話で、現実に、それも母の身に起きようとは、全く想像だにしていなかった。

 その日は新年会が行われる予定で、母はいつもより早めに帰宅。玄関にある鏡の前で母は念入りに化粧をしながら、本屋へ行く私に、
 「どこ行くの? お金はある? あげようか?」
 この時はまだしっかりとした口調で、本屋で軽く立ち読みして帰ると、母は既に出かけたあと。部屋着に着替え、夕飯の準備に取りかかる。
 午後9時過ぎ、突然、電話が鳴った。どうせ自分には関係ないと、気にせず鼻歌なんか歌いながら揚げ物をしていたら祖母が来て、
 「お母さんが倒れたって…今、救急車で運んでる」
 頭の中で、けたたましくサイレンが鳴り響いた。
 動揺を隠そうとするいつもの癖で、祖母の前では平気なふりをしていたが、1人になった途端、不安が一気に表面化して、その場にガクンと泣き崩れた。
 電話が騒がしく鳴り続ける。情報は全て祖母止まりで、詳しい事はわからない。保険証を探すよう命じられ、あっちこっちと引き出しを開けるも、出てくるのはどうでもいいプリントやらダイレクトメールばかり。気付いた時には祖母の姿はなく、私を置いて自分だけ病院に向かったらしい。
 帰宅した祖母は多くを語らず、「おばぁちゃん、血圧が上がっちゃったよ。あんたが頑張らなきゃ…」を繰り返すだけで、私も母の病名は気になるが、自分から問う事も出来ない。