1つ目の心は、愛に飢え傷付き死んだ。
 2つ目の心は「どうでもいい」というゆとりを持ったが、愛されなくてもいいという人間としては虚しい考え方を維持していたのは2週間程の事で、それ以降は前の状態に戻りつつあった。
 仕事は相変わらず落ち続け、
 「ホステスになれば?」
 「仕事する気なんて、初めからないんでしょ?」
 と、家族には嫌味も言われたが、積極的に面接に出向く気もしなかった。
 そうやって仕事もせずに家にいて、なおかつ部屋に引きこもりがちな生活をしていたので、家族は私にボランティアで人と接するよう勧めた。
 私はその気になれず断り続けていたが、ある日、ボランティアコーディネーターの石原から電話があり、話を聞いた。実は以前、専門学校を受験する際、私は人に必要とされている・いないに関係なく「ボランティアがしたい」と周囲に漏らしていた事があるのだが、どうやら今になって福祉事務所に話が届いたらしい。
 この時は自身の“必要性”に拘っていた事もあり、キッパリ断った。
 母もそれとは別にボランティアの話を持ち帰り、聞けば、石原という人がフリースクールを開いていて、私をスタッフに誘っているらしい。
 ━━━石原!?
 確か、あの電話も石原だった。同一人物だと勘違いした私は、祖母が勝手に裏で話を進めていると思い、この件も断ろうと考える。
 それでも何度か話を聞くうちに、石原が母の職場の同僚で、彼女の息子が中学で不登校になり、いろいろ相談する中で私の存在を知った事、仲間と作ったフリースクールに、子供達の話し相手として参加を希望してる事、また、元不登校の私なら子供達の気持ちが理解出来るのでは?…という事で、参加を決意。
 他の誰かじゃなく、私にしか出来ない事…
 そこに、存在価値を見た。

 予め、「ほとんど子供が集まってないの」とは聞かされていたが、実際は子供なんて1人もいない。来て早々目の当たりにしたのは、おばさん2人がコタツで呑気に茶なんか飲んでる光景だった。
 パンフレットによれば、彼女達は大手フリースクール『東京シューレ』に憧れて、この『おうちでシューレ』を作ったらしい。だが、ここはフリースクールと呼ぶにはまだまだ未完成で、開校日も週1日、午前11時から午後3時までとの事。