元々、作家になる夢はあった。専門学校を中退した時も、「ムダにした学費は家族に返す。保育士の夢は諦めたけど、働いて稼いだ金でワープロを買い、小説を書いて送るんだ」と、里奈に熱く語るくらいの希望はあった。
 が、現実は厳しい。パートを中心に応募するも、封を開けば“不採用”の文字ばかり。
 そんな時、見つけたのが『学童保育指導員 募集』の広告だった。応募するのを一瞬ためらったのは、そこに“電話”の文字があったからだ。
 小学生の頃は、友達の家に普通に電話出来た。それが中学になると、相手の親が出ると電話を切ってしまったり、ここ数年は電話しようと考えるだけで気持ち悪いほど動悸が激しくなり、それが嫌で学校に欠席の電話も出来ない状態だった。
 勇気を出して電話すると、受話器を取ったのはややキツイ印象の女性で、道や目印となる建物をメモしながら、私は初めて字が書けない程の手の震えを経験する。ライバルは皆、これから保育士を志す人達で、保育士を諦めたばかりの私は、「若い子は飽きっぽいから」と中退を厳しく問われ、人格さえ否定される面接にその場で泣いてしまう。
 試用期間3日のうち、最初の2日間は自分から話せず自滅。最終日、ようやく打ち解ける事が出来たが、あの最初に電話に出た女性は元校長らしく、やたら威張って言葉もきつく、不採用も今回ばかりはホッとした。
 動悸に加え、またあの時のように手が震えると思うと怖い。その後の応募はほぼ履歴書郵送に限られた。アルバイト経験はなく、表情は乏しい、協調性はなく、極端な引っ込み思案…それで採用されたら奇跡なのに、不採用のたび、「私は生きている意味がない。誰にも必要とされていない」と、激しく落ち込む。

 里奈とは時々電話で話し、専ら話題は“成人式”について。
 高3の頃、唯一の友達である里奈を中山に奪われ孤独だった私は、当時から彼女に繰り返し言っていた言葉がある。

 「私、成人式で1人になっちゃうから一緒にいて!! 一緒に行こう」

 それは、ささやかな希望だった…
 今すぐには解決しない事でも、成人式を迎える頃には救われていてほしい。例えば、ずっと好きだった人と再会して両思いが発覚するとか、疎遠になった元友達との友情復活とか、最後の最後にどんでん返しでハッピーエンドみたいのを、バカみたいに期待してた。