専門学校生であると同時に短大生(通信教育部)でもあった私達 児童福祉コースの1年生は、毎年、夏に福岡にある短大で実際に授業を受ける事が義務付けられていた。私はそれがずっと不安で、3泊4日、飛行機で行くと知り、聞いたその場で泣いてしまう程だった。
 小学校低学年の頃、すっかり日の暮れた室内でただ1つ明かりをともしていたテレビと、そこに映し出された飛行機事故の映像は、飛行機と聞いたら墜落をイメージするほど幼い心に恐怖を残し、身辺整理を終えた、正に死を覚悟での参加となった。

 まずは客室乗務員に券を見せ、「あちらです」と手で方向を示されるものの、直視出来ない私はそれを確認出来ず。隣の階段から2階へ進み、すぐに間違いだと気付いて1階に引き返す。
 機内では、生徒達が座席備え付けのボタンを興味本位で押しては、用もないのに乗務員を呼び出して、それも機内サービスの飲食物が運ばれてくるとピタリとやみ、私はすぐに寝た振りをした。
 宿泊先のロビーに張り出された部屋割り表で、私は宮沢らと共に『桔梗の部屋』と判明。たまたま近くにいた同室の浅田の後を付いて行くと別室で、皆、友達同士部屋を変えていると知った。
 順次、食堂へと向かう中、私は1人、カバンを持ったまま数字の書かれた部屋の前を行ったり来たり。『桔梗の部屋』は確かに存在するはずなのに、1階から4階を何度往復しても見つからず、また、“桔梗”の読み方さえわからない。
 …と、誰かに「忍ちゃん?」と声をかけられるも、入学から半年たっても顔と名が一致するのは10人程度で、今、目の前にいる人間も私の名を知っているならクラスメイトだという以外、何もわからない。「部屋がわからない」と言っても、「みんな、部屋変えちゃってるからねぇ」と、何か誤解している。
 それでも「みんな食堂に集まってるから」と、カバンを一時的に彼女達の部屋に置かせてもらい、1度は食堂に足を踏み入れるも逃げ出してしまう。その間も1人パニック状態で建物内を駆けずり回り、そこに夕食を終えた同室の和田が現れ2階だと教えてくれるも、いざ、カバンを持って2階へ行くと、そこに『桔梗の部屋』は見つからなかった。