私が進学を意識し始めたのは、高校1年の時だった。元々、障害者系ドラマが好きだったのと手話に興味をもった事がキッカケで福祉を志し、人に必要とされたい、自分自身が癒されたい想いから、この世界に憧れを抱くようになった。
 当初は、福祉=高齢化社会=老人介護と安易な発想から“介護福祉士”を目指すも、いろんな学校のパンフレットに目を通す中で、ある学校の“児童福祉”という言葉に心引かれ、ギリギリまで悩んだ結果、都内になる福祉系専門学校への進学を決意する。福祉の学校で保育を学ぶ事に拘ったのは、福祉系なら私を理解してくれる人がいるかもしれないという、淡い期待からだった。
 母は「遠いから大変だよ。本当に通えるの?」と念を押したが、行動範囲の狭い私には、木更津より上は想像するだけでワクワクするような地で、片道2時間半の長距離通学も「楽しいから大丈夫」と、実際の通学を甘く見ていた。
 話すより書く方が考えを伝えられると思い、わざと作文のある一般入試での受験。笑顔を気持ち悪いと言われてから素直に笑えなくなった事、大好きな子供達の前で笑う事を笑顔のリハビリにしたい事、人に頼られた時、人に何かしてあげた時の喜びについて、正直に綴った。
 母はまだ夜の7時代だというのに、駅で私の帰りを待っていたらしい。
 「試験、どうだった?」
 私は「楽しかった」と答えた。
 2日後、合格通知が届く。


 私が在籍していた社会福祉科児童福祉コースは、のちに児童福祉科として独立し、週4日と月数回行われるスクーリング(短大通信教育)との併用で卒業を目指す。東京という土地柄、地方から都会に憧れて上京した者も多く、中には静岡県の沼津から新幹線で通う者もいた。
 親の離婚、身内に障害者がいる者、イジメ経験者…皆それぞれの事情を抱え、私はその中に意外な人物を発見する。里奈の幼なじみ・愛だ。それも、学科・コース・クラスに至るまで、全くの偶然だった。
 愛とは小・中・珠算塾が同じだったが、同じクラスになるのは初めてで、小5の時、市が主催した母子家庭のためのバスツアーで、彼女も父親がいない事を知った。
 さすが福祉系とあり、オシャレな子もいれば、そうでない子も数多くいて、その点、服装に関しては多少安心出来たが、初日から孤立してるのは私だけ。