「無視されちゃった」の一言で、そこでやっと彼が私に対して言ったのだと判断出来たが、時は既に遅く、あの時、「うん」と言えなかった自分が悔いでならない。
 また別の日、担任から妙な事を言われた。
 「急に自分が自分でなくなるような時はないか?」
 …あれはどういう意味だったのだろう。


 元旦。その日届いた中山からの年賀状には、軽々しくも「卒業しても友達でいようね」と書いてあった。それに対し、私はこんな返事を返す…

 「私は卒業したら、あなたと友達でいるつもりはありません。ほぼ全員の友達を捨てるつもりです」

 里奈も圭子も中山も、私が望む『いつも一緒で、絶対に1人にしないと保証してくれる人』には程遠い。気まぐれに話しかけたり、私を捨てて平気で他の人とペアを組んだり、中途半端に友達づらして傷付けられるのは、もう懲り懲り。だからこそ、これまでの人生を全て捨て、春から人生の再出発をするつもりでいた。
 はっきり嫌いとは書かなかったものの、中山は手紙の内容に機嫌を損ねたらしく、休み明けから態度は一転。今まで以上の里奈のガードに加え、私には一切話しかけてこなくなった。
 中山相手に愛想笑いせずにすむのは良かったが、里奈とペアを組んでいた卓球は、彼女を完全にガードされた事でペア組み出来ず、3学期の体育は全て見学。中山は時折わざと聞こえる声で「私はあの人の事、友達だなんて1度も思った事ないのに、バカじゃない?」と、それを真横で聞いてる里奈も私をかばってはくれなかった。
 そういえば中学生の頃、一時期、中山と親しかった加代が、彼女を「嫌い」と私に言った事がある。「なんで?」と聞いても理由は教えてくれなかったが、今なら加代の気持ちが少しはわかるような気がする。

 卒業から十年以上たった今考えてみると、私には定時制の方が合っていたように思う。そして、それこそが私の本来の居場所だったのではないだろうか?
 無論、世間にはイジメを克服し、何もなかったように人並の人生を送る者もいる。それでも、自身の心の傷や環境が改善しないうちに戻った事が間違えであり、あの時、焦って復学さえしなければ、それ以上傷付く事も、トラウマ増加や性格の歪みも最小限に抑えられたはずだ。