中山の考えが正しければ、里奈は自分から私の所へ戻ってきた事になる。どちらにいる方が里奈の表情がイキイキしているかと言えば、それは私の方だと断言出来るし、2年の時の事もあるから素直に喜べない気持ちもあるけれど、出来れば彼女にはこのまま私の隣にいてほしかった。
 けれど結果は…無残にも捨てられた。今度は確実に彼女の意思で私は捨てられたのだ。

 人見知りが、いつしか人嫌いに変わっていく。
 同じ“1人”でも、自室では己を解放出来るのに対し、集団の中の1人は遙かに気を使う。休み時間を共に過ごせる相手がいる人は、それだけで恵まれた方だ。動画の中にそこだけ静止画像のような、話す相手のいない人は、例えば髪をいじったり、スカートのホコリを叩いてみたり、何でもいいからとにかく動画の中に溶け込もうとする。
 デパートや道を歩く際も、うっかり誰かと目が合って相手を不快にしてはいけないと、視線を散らすため、万引き犯みたく目をキョロキョロさせてみたり、電車はいつも下を向いて寝たふり。ただ歩くだけでも、後ろから「デカイ女」とか「歩き方が変」とか言われ、肩幅が少しでも狭く見えるように、体が上下してスキップみたく見えないように、神経を集中させなければならない。
 そんな私を見て、一部の生徒はわざと聞こえる声で「ブリッコやってる。バカじゃないの?」と指をさし、集団でジロジロ見て笑う。
 人混みを避けるため、帰りの電車をわざと2・3本遅らし、放課後、海や公園のブランコで1人童心に返って遊ぶのが、外にいる時、唯一ホッと出来る時間だった。

 素の自分と抑制された自分との差があまりに大きく、まるで多重人格のように筆跡もキャラも一定しない。人を笑わせたり楽しませるのが得意な反面、急に子供みたいに甘えてみたり、「私って今、生きてる?」と口走る不安定さ。
 何を考えてるか、わからない。私生活は謎。そんなトコが逆に周囲の関心を引く事もあって、林田君に「友達になろう」と嬉しい言葉をかけてもらうも、目の前にいたって名前を呼ばれなければ、彼が私に言っているのか、私の隣にいた人に言っているのかもわからない。うっかり返事をして違ってたらバカみたいだし、視線の方向を確認しようにも目を見て話せないわけだから、結局、返事が出来ず無視してしまう。