わざと近くに座っても言葉1つかけてこないし、教師から「ここは3人で実験やってね」と言われた事も都合よく忘れて、やっと3人で出来るようになっても、圭子は私が邪魔なのか、「私達がやるから座ってていいよ。あとで結果教えるから」と、実験に参加させてももらえない。
 登下校・昼食・休み時間…里奈と2人きりの時はあんなに楽しかったのに、1人加わっただけで、今じゃ里奈といても楽しいどころか逆につらい。偽りの友だからこそ、完全には心開けず、笑顔も憎しみを含めば愛想笑いにしかならなくて、2対1の分裂も半分は自分が招いた結果だと気付いた。
 里奈はいつも私の話を興味深そうに聞いて、トラウマや行動障害への理解、応用による推測も可能になったが、親友の彼女でもただ1つ、最も重要な部分は理解出来ていなかった。そう、彼女は私にとってどれだけ必要な存在だったかを━━━。
 唯一頼れる存在を失うという事は、孤立を意味する。なら、なぜ自分が他の人の所へ行けば、親友は確実に孤立する事に気付かないのだろう。なぜ、私より他に友達のいる圭子の方を優先するのか。
 ━━━捨てられた。
 そう思うのは、これで何回目だろう。
 文化祭も本来なら里奈と楽しむはずが、こんな日さえ私は1人ぼっちで、泣きながら校内をさまよった末にたどり着いたのは屋上への入口だった。…やりきれない想いを壁へと綴る。
 数日後、いつものように弁当持参でそこへ行くと、横に何か文字らしきものが書いてある事に気付く。

 “バカじゃねーの!”

 一瞬、励ましの言葉があると期待した自分を恥ずかしく思った。


 そんなある日、私はふとした事である重大な事実を知る。女生徒2人の何気ない会話は、私に祖母の真実を教えてくれた。
 「富津の方言で“めくさい”って知ってる? ブサイクって意味なんだって」
 めくさい…その言葉に覚えがあった。幼い頃、よく祖母が私を見て口にしていた言葉だ。
 「お前は本当にめぐせぇ子だなぁ…」
 その本当の意味も知らず、「おばぁちゃん、おばぁちゃん」と飼い猫のように懐いては、身内さえ不快にさせていた私。祖母は私が不登校になったから嫌いになったんじゃない。もっとずっと前から私の事が嫌いだったんだ…そう考えると全ての事に納得がいく。
 生まれてこなければよかった。