私が入学したA高は、それほどレベルの高い学校ではなかった。
 母は高校進学自体をとても喜び、近所中、親戚中にそれを報告しては、その浮かれ様は本人から見れば迷惑そのものだった。
 この学校を受験する事に決めた時は、里奈も同じ学校とは知らず、高校生になったら新しい友達を作ろうと意気込んでいたが、同じ学校とわかってからはすっかり安心してしまい、「里奈がいれば、私は1人にならない」と、新たな友達を作る気力をなくしてしまった。 クラス分けで私はG、里奈はF組となり、たまたま出席番号順で後ろの圭子が話しかけてくれた事で、私はさらに安心しきってしまう。逆に圭子は1人遠方の中学出身で、友達を作ろうと不特定多数に声をかけていただけで、私にとって彼女は“クラスで唯一の友達”でも、彼女にとって私は“大勢いる中の1人”でしかなく、その認識の違いが孤立する原因となる。
 グループ作りも、私は圭子が誘ってくれると期待していたが、彼女は別の友達と班を作り、すぐ側で私が孤立してる事に気付きもしなかった。
 成績順に席替えをした時も、彼女の友達が私と席を変わるよう望み、結果、私だけ除け者にされたように離れた席に座らされた。それも、後ろ2列目の席から最前列への移動だった。
 そんな中途半端な友達づらと、いつまでたっても「ササオさん」と姓でしか呼んでくれない彼女に、私は不信感を募らせていく…

 同じクラスの美雨には、「笑うと気持ち悪い。調子にのってる」と言われた。
 私は皆と同じように話したり笑ったりしてはいけないのだろうか?
 友達のいない、いつも1人ぼっちで下を向いてるような嫌われ者でなくてはならないのだろうか?
 皆がそれを許されても、私だけは許されないのだろうか?
 …この『調子にのってる』は、10代最大のトラウマとなり、のちに様々な行動障害を引き起こす。

 高校入学後 初めての体育祭も、古いトラウマから参加を拒んだ。1人だけ参加種目が少ないからと無理矢理押しつけられた『借り物競争』は、物を借りるために自分から話しかけられない不安と、小5の運動会で校長が当たった時のパニックを思い出させ、また、いつか五月に「嫌だ」と断って「中学に入ったらリンチしとやる」と言われた事で、「嫌だ」の一言が言えなかった。