こうして1から思い出して書いてみると、この3年間はつらい事ばかりで何の喜びもなかったように見える。本当にそうなのか? いや、極々小さな事であるが、普通の人なら気にも止めないような出来事が喜びを与えてくれたのも事実だ。
 1年の時は私を「クサソウ」と呼んでいた美和子が、卒業間際「忍ちゃん」と呼んでくれた事。下校中、真一が他の友達に声をかけるのと同じように「バイバイ」と手を振ってくれた事。約10ヶ月もの間、隣の席で嫌な顔一つせず優しく接してくれた文也くんの事は、今でも夢に見るほど記憶にハッキリ残っている。
 班で机を付ける時、私はいつも隙間をわざと作っていた。長年のイジメや孤立で、周りは全員私を嫌っているとしか思えなかったし、「私の隣の席になった人は可哀想。不快にさせてごめんなさい」といった心境だったから、毎回、彼が自分から机をくっつけてくれるのが嬉しくて、夢の中でも彼と机は常にセット、座席の位置まで正確に再現されていたりする。

 担任の峯山は最後まで教師と認めるに堪えない存在で、一見、団結してるように見えるクラスも、彼の独断に支配されていただけに思う。席替えは年1回、掃除当番も1年間同じ場所。帰りのホームルームは長々とつまらぬ話を聞かされ、ウンザリするのがむしろ当たり前なのに、
 「何だ、その目つきは!!」
 嫌な記憶をいちいち呼び覚ます。
 マスクを忘れた給食当番には口元にガムテープを貼らせ、おそらくアイロンがけの失敗から制服がテカったであろう生徒には、
 「その服装では、修学旅行に連れて行けない」
 卒業記念にクラスで貯金していた金は、彼の好きなキンモクセイの苗木に変わり中庭に埋められ、不登校で髪の伸びきった鈴木君が久々に登校すれば、「髪を切らなければ、卒業式に出席させない」と、正に独裁者だった。
 私はそんな彼を頭の中で何度も殺し、現実では己の体にイライラをぶつけながら、1994年 3月、中学校を卒業する。