別の日、再び顧問から呼び出しをくらうが、里奈は「塾だ」と姿を現さなかった。避けられてるかもしれないという不安の中で、部活終了後に見た光景は、里奈がまだ校内にいて千秋と遊んでいる姿だった。
私にはそれが“捨てられた”と感じ、自ら距離を置くようになる。
周りは次々と志望校を決め、出遅れた私は私立と市立の区別もつかず足踏み状態。公立も2校しか名前を知らず、己の学力がどの程度かもわからぬまま、試しに言ったA高がそのまま志望校になった。私立は経済的に受かっても行く気はなかったが、学校の方針で強制的に受験させられた。
しばらくは大人しかったイジメも再発し、その先導となったのは、前々から心配していたかつてのイジメっ子で、加代の長期欠席で孤立するものの、残り半年だとどうにか耐えぬいた。
一方、加代は保健室登校を続け、養護教諭と話をする中で准看護学校への進路を下す。なんでも、高校へ進学するよりすこしでも早く大嫌いな母親と離れられるからだとかで、私は心中複雑な思いだった。
最終面談は祖母も呼ばれ、私達家族だけが四者面談となり、担任からは「私立は受験させてくれると思うが、公立は出席日数の関係で受験させてもらえないかもしれない」と、もしもの時は定時制をと勧められた。母は「若い子が1人で夜に外を出歩くなんて危ないし、うちは車がないから迎えに行けない」と、強く反対した。
それでもどうにか合格し、加代は准看護学校へ、私と里奈は公立のA高へ進学を決める。
正直、結果が出るまではすごく不安で、先に合格した私立には授業料を考えると行きたくなかったし、自己採点の結果の悪さに落ち込んでいたら、祖母には「落ちる、落ちる(笑)」と言って泣かされた。そのくせ、合格とわかった時は予め里奈と互いの合否を報告しあっていたが、うかれた祖母は里奈の家に電話すると「うちの忍は落ちたんですよ」と悪ふざけをしだして、里奈の両親を大いに困惑させ楽しんでいた。まったく呆れる話である。
私にはそれが“捨てられた”と感じ、自ら距離を置くようになる。
周りは次々と志望校を決め、出遅れた私は私立と市立の区別もつかず足踏み状態。公立も2校しか名前を知らず、己の学力がどの程度かもわからぬまま、試しに言ったA高がそのまま志望校になった。私立は経済的に受かっても行く気はなかったが、学校の方針で強制的に受験させられた。
しばらくは大人しかったイジメも再発し、その先導となったのは、前々から心配していたかつてのイジメっ子で、加代の長期欠席で孤立するものの、残り半年だとどうにか耐えぬいた。
一方、加代は保健室登校を続け、養護教諭と話をする中で准看護学校への進路を下す。なんでも、高校へ進学するよりすこしでも早く大嫌いな母親と離れられるからだとかで、私は心中複雑な思いだった。
最終面談は祖母も呼ばれ、私達家族だけが四者面談となり、担任からは「私立は受験させてくれると思うが、公立は出席日数の関係で受験させてもらえないかもしれない」と、もしもの時は定時制をと勧められた。母は「若い子が1人で夜に外を出歩くなんて危ないし、うちは車がないから迎えに行けない」と、強く反対した。
それでもどうにか合格し、加代は准看護学校へ、私と里奈は公立のA高へ進学を決める。
正直、結果が出るまではすごく不安で、先に合格した私立には授業料を考えると行きたくなかったし、自己採点の結果の悪さに落ち込んでいたら、祖母には「落ちる、落ちる(笑)」と言って泣かされた。そのくせ、合格とわかった時は予め里奈と互いの合否を報告しあっていたが、うかれた祖母は里奈の家に電話すると「うちの忍は落ちたんですよ」と悪ふざけをしだして、里奈の両親を大いに困惑させ楽しんでいた。まったく呆れる話である。
