そう、あれは父が死ぬ1ヵ月程前の出来事━━━突然、枕元に現れた父に「死んでもいいか?」と問われた記憶がある。当時まだ5才だった私はそれを冗談として受け止め、「いいよ」と答えてしまった。
 実の娘に「死んでもいい」と言われた時、彼は何を思い、何を決意したのか…悔やんでも悔やみきれない。

 同じクラスの子達は、皆、父の死を知っていて、会う人会う人次々に「ねぇ、なんで死んだの?」と聞かれたが、私はそれを不快に感じる事はなく、皆が「忍ちゃん、忍ちゃん」とかまってくれるのが嬉しかった。
 車はその後、解体処分される事になり、車体に残された遺品の中には、あの日、私が海で渡した貝殻も含まれていた。
 母は夫の残した多額の借金にパニックし、一時、連日のように私を連れてパチンコ店に出入りしていたものの、ある晩、見かねた祖母に怒って締め出されてからは、母も気持ちを入れ替え、仕事を探すようになる。
 だが、ようやく見つけた就職先も私の小さなイタズラが原因でクビになってしまう。
 のちに祖母から私が障子を切ったのが原因と聞かされたものの、正直、そのへんの事は覚えていない。記憶の中では確かそこは小さなオモチャ工場で、土曜はいつも近所のおばさんが保育園に迎えに来て、私を母の所に届けてくれた。そのまま母や他の従業員と弁当を食べ、夕方まで1人ポツンと窓の景色を眺めていたが、その際、他の従業員の子だか近くで遊んでいた子と接触したような気もするが、何ぶん記憶が曖昧でハッキリしない。
 当時は延長保育で、いつも最後の方まで残っていた。子供なりに家庭の事情はわかっているつもりだったし、寂しいとかツライとか考えた事もなかった。
 けれど保育士は、
 「忍ちゃん、お母さんにもう少し早く迎えに来るよう言ってくれないかな?」
 私にはそれが「あんた達のせいで、私が早く帰れない」の意味にに思えて、それを母に伝えるのは気が引けたし、酷だと感じた。
 それでも翌日からほんの少し迎えの時間が早くなり、母には申し訳ないと思う一方、嬉しかったのも事実だ。
 その後、母は結婚前に勤めていた職場への再就職が決まり、借金も利子が増える前に祖母が弟から借りた金で返金。父方の親戚とは、以後、交流が途絶える。