また、隣席の貴明は私を露骨に嫌い、いつだったか、落としたシャーペンを足で蹴られた事があった。その影響か、当時、私は物を落としても拾わない事が多く、通知表でもその事で注意される程だった。

 そんな中、ついに母がイジメを知る時がやってくる。頻繁に休む娘を不審に思ったのだ。初めは「胃が痛いんだもん」とか何とか言っていた私も、母にしつこく問われるうちに、心の奥底から波のように押し寄せる感情に涙を堪えきれず、その苦しみを白状した。
 だけど、祖母は「学校が怖い…なんて、頭がおかしくなったんじゃないか」とノイローゼ扱い、母は母で「小学生の時は、イジメられても学校行ってたじゃない?」と、この苦しみを理解してくれない。
 私はどうしても学校に行きたくなくて、歩けなければいいんだと絶食を試みた。学校に行かずにすむのなら、不治の病に冒されてもかまわないとさえ思っていた。そして、その想いはやがて胃痛や腹痛へ姿を変える。
 こういった場合、どこの親も似たようなものだ。母は例のごとく担任に助けを求め、2人がかりで私の部屋の扉をこじ開けようとする。私もそれなりに抵抗はするが、なにせ引き戸なので持ち上げれば簡単に外れてしまう。
 「みんなも心配してるよ」
 担任もわかったような、お決まりのセリフしか言わない。筆箱の件は里奈から聞いたと言うが、それだって教師が生徒に質問してわかった事実であって、里奈が私を心配して自分から教師に伝えたわけではないだろう。
 教室に着くとちょうどその時間は自習で、そこに私が担任に付き添われてやって来たもんだから、皆「どうした、どうした」といった感じで、私は「別に」とそっけない返事をすると席に着いた。空腹で腹がグーッと鳴った。
 同じ頃、教室のロッカーに消えた筆記用具が置かれているのを発見するが、のちに事件以降、千波がそれらしき筆記類を使用していたとの情報を耳にする。
 自分で返しに来たのだろうか?

祖母には昔から「やられたら、やり返せ」とか「お前は忍なんだから、堪え忍ばなきゃ」と言われ続けてきたが、人間、堪えるにも限界がある。あれから何度も出欠席を繰り返しては、“自殺”の2文字が頭の中を駆けめぐった。
 毎日毎日、胃痛や腹痛を訴え、その日休む事が許可されると急に体調が良くなる。