家では普通に話せるのに学校では無口など、相手や環境によって話せなくなる症状を『場面的かん黙』という。私には、昔からその症状があった。
 1対1以外では、まともに話せなくなった高校時代。
 家族とさえ、会話不能の傾向が見られるようになったのは、母が脳内出血で入院した時。祖母に母の病名を問う事も出来なかった。塾講師の面接を受けた際も、交通費は片道分しか持っていないのに、何も言えず、3時間かけて歩いて帰宅した。
 「はい、わかりました。○○しておきます。○○でいいですか?」
 家族が相手にしては、妙によそよそしい不自然な会話。
 その異変から自分達の過ちに気付いてほしくて、言葉まで家政婦になりきってはみたが、逆にハッキリ「お前は家政婦」と言わせる展開に、会話自体を拒否。最初は故意に喋らずにいたのが、それが長く続くと『場面かん黙』に変わり、その態度は精神状態に比例するようになる。
 悪い時は、耳を塞ぎ膝を抱えて部屋の角で震え、ほんの少し家族と体が触れただけで「ギャーッ!!」。話しかけられる事自体が刺激となって、「おはよう」さえ奇声や自傷の原因になった。精神状態が良い時も、逃げはしないが喋らず、「うん」と「ううん」だけで方角と数を指で示しては、具体的な質問には答えられない。
 いつか、医師に「これだけ話せれば大丈夫ですよ」と言われたが、今なら異常に気付いてくれるだろうか?
 少なくとも、家族に私は異常という認識はなかった。引きこもりではなくニート、心の病ではなく性格、喋らないのは怒っているからで、血だらけの腕を見せても「ハムスターにやられたの?」。バイオリンの弓をひくように繰り返し大量に付けた傷跡に、その出血量から見てもペットが原因でないのは明らか。
 だから、現実を受け入れさせようと、コップに血とカミソリを入れて仏壇に備えてみたり、父の遺影の口元に血を口紅のように塗ってみたり、家中の柱に小さく『たすけて 愛がたりない 私はいらない子』と書いては、自分なりにアピールし続けた。
 母は何も言わず黙ってコップを片付け、カミソリの意味には気付いてくれたが、だからといって、私を病院へ連れて行く気はなく、そのまま放置。