内心、辞めたいと思っていたわけだから、解雇された事自体に恨みはない。
 生徒とは広い意味で何でも語り合える存在になりたいと、弱い自分、完璧でない自分をさらけ出した行為に、後悔もしてない。私の考えるGTOならぬGTSは、最初からそれ以外にあり得なかっただろう。
 なら、塾が求めるGTOとは何だったのか?
 冬期講習の担当変更を、講師用の連絡ノートで知らせる事は思いつかなかったのか?
 …そうやって当時を思い出すたび、学院長への怒りは今も消える事はない。

 偽善者なんか、クソくらえ!!