父と約1年振りに再会し、父と新しい我が家に帰るはずが…
父も寂しかったと思います。新しいウチにとっての母親になる女性がいました。

父と女性の住まいは、子供が住めないアパートで生活を始めていたのです。

ウチの居場所がない…

近くに叔母夫妻が住んでいたので、そこにウチ一人がお邪魔することに…
その日の夜、遅くまで父と女性…叔母夫妻…4人揃って難しい顔で、何やら話し合っていました。
翌朝、父から
『新しいお母さんやで…』
と紹介され
『ふ〜ん』
と何等抵抗なく、母親と認めた記憶です。
数日後、3人の新居に引っ越しをしましたが、6畳一間のボロアパート。
そこでの生活では、すぐに友達も出来、一人の寂しさを感じることはなくなりました。

でも、ウチは精神的な面から夜尿症が頻繁で、駐車場の管理を引き受ける条件で、50台程駐車が出来る敷地内の隅に家を建て、新たな生活が始まりました。
父と母の3人で幸せな生活が出来ると希望を抱いていたのも束の間…

両親はバブル弾ける前の全盛期でもあり、若さ故、ウチを一人留守番をさせて、毎晩友人と飲みに行く毎日…ウチはと言えば夕飯も作って貰えないので、煮干しやインスタントラーメンに水をかけて、一人食べる生活…

四国にいたときと変わんないや!

日曜日となれば、草野球をしていた父だから、メンバーを連れて試合終了後に自宅に呼び、親が家にいるにもかかわらず
『邪魔や!あっち行っとけ!』
と食事にありつけない…
片や両親は、メンバーと酒盛り…

ある日、
『一人にせんといて!ウチも暖かいご飯食べたい!』

と訴えました。すると、バットや掃除機のパイプ等で殴られる日々が始まりました。
母は庇う事もなく、笑顔だったのを覚えてます。

何で?なんでなん?ウチなんか悪いことしたん?

そんな気持ちで一杯になりました。
父が仕事で遅くなるときも、母はいても長電話やパチンコで、結局食事なし!反発すると、ほうきで殴られる始末…

小学2年の運動会に、弁当を作ってくれ、凄く嬉しかったが、火の始末が悪く、家が全焼…それも
『お前が運動会に出るからや!』
とウチのせいになってました。
母は、ウチがいる為自分の自由がなくなるから、暴力で発散!母がウチが言う事聞かないと話し、父から暴力!