◯んまさんのライブに出させて頂いた後、やはり完全東京進出で解散となりました。

数日後、稽古を付けて下さってた演出家の先生から連絡が入りました。

『何してんの?』

の言葉…その時に◯本に残りたいと伝えたら、未だに業界にいたかも知れません…予想ですが…

ある日、メンバーだった一人から連絡が入りました。

『江坂球場に、野球しに来るから、劇団を残す様にお願いしに行こう!』

とね…ウチの心の中で

『その時に、お礼といきさつを話そう』

と思いました。勿論、球場に流れを書いた手紙を手に行きました。

これで、伝えることが出来れば、業界には未練はない!試合が終わって、手紙を渡したのです。

何の返事もありませんでしたが、毎年、年賀状が届くようになりました。

ウチの思いが伝わったと、思っています。

その後、夢を実現し、次は何をしよう?どうしよう?と考えましたが、ウチには音楽が、どんな時にも傍にあった…と気付き、本格的に始めました。結果、先生と呼ばれる立場になり、実力なんてないけど、楽しく…時には、根気強く…ピアノとエレクトーンと生徒を相手に仕事として、スタートする事になったのです。

そんな日々を過ごしてる内…23歳位だったかなぁ〜?

親の知り合いが、近くでスナックをしていましたが

『女の子がいないから、手伝ってくれへん?』

時給を聞くと、1600円。鶴の一言でお世話になることにしました。

芸能界〜夜の世界へ…

音楽講師は、勿論続けています。

デニムでも構わない条件で、カウンターの中でお酒を作ったり、デュエットをしたり、チークダンスなんかも…

素人っぽさが良かったのか、かなり忙しい店となったそうです。

そんな日々も束の間…小学生の時に、父に連れて行って貰った、スナック街からスカウトが入り、お世話になった店のママも、快く了解してくれ、ネオンだらけの街デビューとなりました。

芸能界にいた事や、音楽講師をしてる変わった人が店にいる!と言うことで、一躍名前を売ることが出来たのです。

でも、ハンパでない忙しさ故、ハンパでない酒の量に、なれるまで店のBOXや玄関先で寝込んでしまったり、トイレで吐いたりと、体には良くない環境が始まりました。