蟻の気持ちになってみた。
 実際は私は人間で蟻が考えていることなんかちっともわからないけど、うん、そうだ、どちらかといえば空想に似ている。
 透明の水玉模様で彩られた傘越しに、まるでおたまじゃくしのように流れる雨粒を見つめる。
 信号はいつの間にか赤から青へと変わっていたらしく、スーツ姿の男の人や、胸元が派手に開いたキャミにちょっと短すぎるんじゃないかと思うひらひらのミニスカートを身に纏った綺麗な女の人や、制服の、私と同じ年齢くらいの子たちが幾人も、ときどき突っ立っている私を邪魔そうによけて横断歩道を渡っていた。
 それでも私は雨を、更にその上の空を見つめる。けれど空は歪んで狭く、かわりに背ばかり高いビルが、上も下も覆っていた。少しだけ感じる息苦しさ。
 人間を見上げる蟻も、こんな気持ちなのだろうか。
 そんなことを考えているうちに、信号の青い光が点滅し始め、遂には渡らないまま、同じ交差点で二度目の赤信号を迎えた。
 今日は家に帰ったら何をしようかなあとか今日はどんなテレビ番組がやっていたっけとか夕飯はなんだろうとか、何気ないことを、視線を元に戻して考える。
 街は薄暗くて蒸し暑い。



 根岸カノコ。
 雛代咲川第二中学校二年女子。
 ごく平凡な、どこにでもいるような人間。
 髪の毛は肩までさらりとのびていて、いつも横向きに一つでまとめている。
 大きな事件に巻き込まれたこともないし目立った知り合いもいないし、両親も弟も今のところ健康だ。
 数学と理科と体育と、それから社会も苦手だけれど、成績はまあまあだと思う。
 数少ない変なところといえば下の名前がカタカナだということだろうか。いまだになぜ母親が自分の名前をこんなのにしたのかは知らないが、不自由はこれといってない。

 だから、これからあなたたちが読む物語も、壮大な見せ場なんかないしハッピーエンドとかバッドエンドとかには程遠く、なんのためにもならない、地味で、最後まで本当にどうでもいい話。
 はっきり言ってしまえば、私自身にとってもあまり重要なことではないのかもしれない。
 でも。なんだろう、あえて言うなら――――

 雨のち晴れ、曇り空の下で、傘を閉じた。たったそれだけの話。








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