そして、この旅に向かうころには、おぼろげながら将来目指す職種が限定されてきたころでした。

外食産業か、コンピュータのソフト会社のどちらかというところまでは決まっていた。

二つに絞られたのは、興味のほかに、自分なりの経済的な分析もありました。

各業種の上位100社の市場占有率によって、その業種の成熟度合いというのが決まってくるんですが、当時、米国では外食産業が30パーセントほどと高かったのに対し、日本は10パーセントほどだった。

つまり、これから日本で伸びていく要素があるのが、外食産業でした。

自分がイチから会社をつくって、その会社を上場企業にしたいという目標がありましたから、外食産業は、またとないそのチャンスだったんです。

それは、コンピュータ関連にしてもしかり。

事実、現在のようにITの時代を迎えるその走りとなったのが、あのころです。

けれども、外食産業とコンピュータ関連を比べたとき、コンピュータに関しては、次のような思いもすでに抱いていました。

確かに人の生活を便利にこそするけれども、人の幸せに直接関わることのできるものとはまた違うのではないかと。

いざ旅に出て、いろんな国のいろんな大学に足を運び、専門の学科の多くの学生と知り合い、話をしてきました。

コンピュータ系の経験と知識は、海外でもそれなりに得ることができました。

しかしながら、それは、学問としての領域を一歩も出るものではなかった。

大学の外に出れば、自分ひとりではなんの知識も得られなかったんです。

しかし、こと食となると、これは現地の町々に溶け込むことに対して、より積極的になるし、そのチャンスも広がることがわかりました。