私は、20代にして外食産業の会社の経営者となり、着々と事業規模を拡げ、国外にも及ぶチェーンを展開することに成功しました。

世に言う富や名声を、今日までの51年間でひと通り得てきました。

その私がカンボジア、ネパール、バングラデシュで、飢えに苦しみ衰弱している彼らの姿を目の当たりにしたときの衝撃。

それは、震えをともなうものでした。

それは、同情やみではなく、自分自身のなかの恐れを呼び起こす震えだったのです。

私は、10歳で、愛し尽くしてくれた最愛の母親を亡くし、心のなかに大きな穴がポッカリと開いた。

その後、半年も経たないうちに父親が会社を清算し、私はそれまでのような満ち足りた衣食住を失った。

心は愛で、体は物質で、すべて満たされていた、その体験が生々しいうちに、逆にその一切を引きがされたのが私だったのです。

あの、心身ともなる飢えを、私は二度と経験したくない、迎えてなるものか─。
その思いがビジネスの道へと私をさせました。

前に進むことに躍起になったのは、一歩でも後ろを振り返れば、あの惨めな、ひとりぼっちになってしまったに等しい空虚が、私を追いかけてくる─その恐れがさせたものだったのです。

はっきり言えば、私はあのときの気持ちを、二度と味わいたくなかった。

そして、それは自分自身だけでなく、他人がそのような思いをするのを見ることさえ、いたたまれなくなっていました。

肌の色、貧富の差……それらのないユートピアをつくりたかったのは、私のような経験をする人を、世界中からひとりも出したくないという思いからだったのではないか、いま、そう思えるのです。

だから、そんな私が発展途上国での教育と生活支援に携わるのは、慈善事業と言えるようなきれいごとでもなんでもなかったのです。