しかし、産んだ子の“お母さん”になった瞬間、その女性が思うこととは、およそ次の一点なのではないでしょうか。

「ああ、私の愛しい子。この子を健やかに育て、ともに笑い、ずっと成長を見守りながら、私も健康で長く生きていきたい。1日でも長く、この子の姿を見ていたい、いつでも抱きしめてあげて、すぐ傍で頭をなでてやりたい。かわいいわが子、神様がいるのであれば、1分1秒でもいいから、この子とこの地球でいっしょにいる時間を、できるだけ長く私に与えてほしいのです」

母は、産むという行為のリスクを承知で出産しました。

でも、それによって私の成長を見守ることができなくなることを、最初から諦めていたのでしょうか。

あれだけの慈しみをもって、私の少年時代の蛮行、愚行を許してくれた母親は、なにをしても笑顔で包み込んでくれたものです。

私には、母が1日でも長生きして、私の成長する姿を見守りたかった─つまりは、「長生きをしたかった」という思いを持っていたのだと、どこかで確信しています。

私を産むことさえできたなら、あとは自分は死んでしまっても仕方がない、つまり、母が死に向かって私を出産したのだとは、到底思えないのです。

そして、もしもその私の考えが正しいのだとすれば、私が40年以上抱いてきた母への「命と引き換えに産んで寿命を縮めた母の分まで強く生きる」という思い自体、かなり認識が変わってくることに気がついたのです、しかも最近になって。

母の唯一無二の親友・チエ子さんには、母の死後、私が大人になって以後もたびたびお会いしてきましたし、母の思い出話もたくさん聞いてきました。