私にとって、1987年12月17日という日は、忘れえぬ日です。
午後、関内の事務所で、各店長などから提出された営業日誌に目を通していたのですが、電話が鳴るたびに気が気ではありませんでした。
そう、予定日を1週間ほど遅れて、妻に陣痛がきてその朝、入院していたのでした。
あとは無事に産んでくれるばかり─。
その「あとは」のなんと長いこと、待ち遠しいこと。
電話を取れるメンバーはほかにいるにもかかわらず、鳴るたびに私は受話器を取ってしまいます。
17時半を過ぎたころにかかってきた電話も、私が取りました。
「はい、ワタミフードサービスです」
すると、電話の主は義理の母でした。
「美樹さん、おめでとう! 男の子よ。17時26分生まれで2940グラムですって」
私は喜びながらも、声は上ずっていたでしょう。妻の様子も気になったから。
無言の私を察したのか、義理の母も慌てて、
「ええ、母子ともに健康だから、安心して」
そこで初めて、私は、
「ありがとうございます。すぐに病院に駆けつけます」
私の頬を、歓喜と安堵の温かい涙が伝っていました。
「社長、おめでとうございます!」
周りのメンバーたちが次々に声を掛けてくれます。
手の甲で涙をぬぐいながら、私は事務所を出たのです。
午後、関内の事務所で、各店長などから提出された営業日誌に目を通していたのですが、電話が鳴るたびに気が気ではありませんでした。
そう、予定日を1週間ほど遅れて、妻に陣痛がきてその朝、入院していたのでした。
あとは無事に産んでくれるばかり─。
その「あとは」のなんと長いこと、待ち遠しいこと。
電話を取れるメンバーはほかにいるにもかかわらず、鳴るたびに私は受話器を取ってしまいます。
17時半を過ぎたころにかかってきた電話も、私が取りました。
「はい、ワタミフードサービスです」
すると、電話の主は義理の母でした。
「美樹さん、おめでとう! 男の子よ。17時26分生まれで2940グラムですって」
私は喜びながらも、声は上ずっていたでしょう。妻の様子も気になったから。
無言の私を察したのか、義理の母も慌てて、
「ええ、母子ともに健康だから、安心して」
そこで初めて、私は、
「ありがとうございます。すぐに病院に駆けつけます」
私の頬を、歓喜と安堵の温かい涙が伝っていました。
「社長、おめでとうございます!」
周りのメンバーたちが次々に声を掛けてくれます。
手の甲で涙をぬぐいながら、私は事務所を出たのです。
