でも、ここでも初日から、私はそれを口に出してしまいます。

周囲の先輩ドライバーたちと話しているときに、

「僕は資本金を貯めたら辞めるんです。そうして社長になるんです」

と言って、ずいぶんイヤな顔をされたものです。

実際、周囲の方々は「もう借金でどうにも首が回らない」という方が多かった。

そんな進退きわまった方がいるなかで、大学を出て半年の私がこのような生意気なことを言うものですから、すぐに孤立しました。

でもそれもお構いなしでした。

とにかく、朝も夜もなく働きました。

短いときでも18時間、長ければ20時間もぶっ通しで。

睡眠時間は、平均して2、3時間のようなものでした。

毎日毎日、そんなことを繰り返していれば、顔色は青くなってくるし、極限に近づいてくる。

過労で何度も倒れました。

品物を運んでいるときに腰を痛めて、救急車で病院に担ぎ込まれたこともありました。

そのなかでも、5月16日はやってくるんです。

その日は、合間を縫って母のお墓のある日野まで、こっそり、というか大胆に2トンロングのトラックで向いました。

当時は横浜の中心地が私の配達地域でしたから、営業所から向かうには、日野は反対方向。そこに佐川のマークの入った、目立つ2トンロングで向かった。

お墓参りだけは、見つかってもいいやと思って行ったんです。