エルシスは、ゆっくりとしかし確実に現在この邸で何かが起きているのかを把握した。



時折聴こえる人々の悲鳴や雄叫び。

むせ返るような鉄錆びの臭い。

所々と破壊されている邸。


そして、逃げなければならない自分。



「ばあや……奇襲なのね?」



訊ねると乳母は悲しい瞳で頷いた。



「いたぞ!」



そんな最中、突如発せられた声が2人を射ぬく。

ひどく殺気だった声は、エルシスの全身を震えさせた。

ゆっくりと乳母の肩越しに見ると、鉛の鎧に身を包んだ兵士がそこにはいた。その手には幾人を裂き刺したかも分からない血が滴る剣が握られている。



あまりの恐ろしさに、エルシスは慄かずにはいられなかった。

そんなエルシスをよそに、乳母はゆっくりと抱いていた幼子を下した。



「よく、聞いてください」

「……はい」

「書庫の中の小さな扉に、魔法陣があります。貴女様はそれをよくご存じですね?」

「はい」

「そこに向かってください。これを」



ぎゅっと手に握らされた物をエルシスはよく知っていた。
転移の魔法がかけられた術式で、しかも幼子でも簡単に発動できるものだ。



「振り向かずに、そこへ」

「でも、ばあやは……?」

「私は行きません」

「だめよ!」

「エルシス様!」



竹を割ったような凛々しく有無を言わせない声に、エルシスは彼女の覚悟を感じた。前々から一度言ったことは撤回しない、頑なな人でもあった。

エルシスは手に収まる術式を握りしめ、乳母を見据えた。