昔書いたことのある様なその言葉に、僕はそれでも言葉を紡ごうと喘ぐのだ。



ありきたりで、つまらなくて、一夜で消える蛍の光の尊さよりも刹那的に生きることの意味を考えてしまうとき。



僕はこの言葉を、思い起こし、考えるのだ。



例えるなら、全ての事象は僕が、僕として生まれてきた時点で、僕という1つの主観から見たものへと姿を変え、客観を失う。
君とて同じ。僕以外の何かに、僕の全てを理解なんて出来ないのだから。


少し寂しい?でもこれは仕方のないことなんだ。何処かで誰かが呼んだ小説の一文、漫画の一コマ、僕らの日常はコマ送りでは語りきれないほどの、思考と他者とのコミュニケーション、語られない言葉がありふれているはずだ。
もしも自分の一日は、コマ送りの映画の様に進んでいき、終わっていくという人がいるのならば、その人はきっと人生を盛大に楽しんでいることだろう。
だってそうだ、楽しかったり悲しかったり、怒ったり、嬉しかったり。喜怒哀楽だけで構成された人生なんて、全くの夢物語、決して届かないはずの、理想どおりの生じゃないか。
僕は、そんな風に生きている人間がいるのなら、ぜひ一度会ってみたいと思うよ。人生の中で不必要な時間が果たしてどれだけあるだろうか?考えてみたらぞっとする。
睡眠時間なんてそうだ。漫画なんかでは、布団に入って、目を閉じて、そして夢を見ました~だとか、次の日~って続いてるはずだ。でも実際は、その眠っている時間というのは人生の3分の1、もしも君が80年生きるのだとしたら・・・わかるでしょう?


僕らの、人生は、無駄だ。
でも、僕らの人生は、だからこそ、いとおしい。

もしも世界が変わるならなどと、意味のない言葉を呟いて。