六天楼の宝珠〜亘娥編〜

 春半ばでも夜はまだまだ寒いのがこの地方の常とはいえ、こんな時にはひどく応えた。

 どうやら貴人の家というものは火鉢など使わないらしく、生家で冬に役立ったそれを翠玉が手にする機会はなかった。

 代わりに大きな炉というものが壁に据え付けられているが、これを使うには紗甫を呼ぶ必要があるだろう。

──莉(らい)でも一緒に布団に入れば、少し違うかもしれない。

 そう思って部屋の隅で眠る愛猫の籠に近づこうとした時だった。

 庭で物音がした様に思った。

 木の枝を踏んで折った様なささやかな音だったが、夜の静寂に明らかに何者かの存在を知らしめるものだった。

──ふ、不審者?

 一瞬恐怖に駆られたものの、雨戸は頑丈な上にどこもかしこもきちんと施錠されている。

 心配せずこのまま寝てしまえばいいのだと思いなおした。しかし。

──何がいるんだろう。

 しばらく考えた後、彼女はこっそりと次の間に移動する事にした。あそこなら小さな華頭窓があった筈だ。

 釣り鐘型をした華頭窓は、外側に格子がはまっていて造りは頑丈だ。垣間見(かいまみ)は出来るが、子供の腕一本程度の間隔しかない。

 内側の引き戸を少しだけ開けて、そこから恐る恐る庭先を窺う。

 どうやら今日は満月らしく、ようやく闇に慣れた目には思いの外明るく景色が映った。

「……あっ」

 月明かりの中、黒い木々の陰影の内にそれは余りに白く、際立って惹き付けられる。

 女性に見えた。頭から白い布を被って顔を隠してはいるが、光に透かされた輪郭は女性にしか思えない華奢な顎。そして腰まで届く黒髪が、動きにつられてしなやかに揺れている。

──一体何処の何方なのかしら。

 初めて見る人物だろうとは思った。使用人ならばこんな時間に出歩く不心得者はいないだろうし、陶家の一族は今現在、碩有しかいないと聞いている。

 ──いや。

 確か『出る』と、槐苑は言っていなかったか。