いつもなら、この市場で夕食の材料をそろえるところだが、今日は必要ないので、真っ直ぐ中を抜けた。

 時折、顔馴染みに声を掛けられたが、全て笑顔で応えて通り過ぎた。

 市場を出る頃には、肉まんをたいらげていた。

 これが今日の夕飯かと思うと、ちょっと寂しかったが、庵に帰ったらお茶でも飲んで空腹をごまかすことに決めた。

 市場から少し歩くと丘を登った。

 この辺りは、バクーの外れに近いので、建物も疎らだ。

 他の薬法師の庵はバクーの北に多くあり、この南側の丘陵地帯には、紅の庵しかない。

 あとは商人の屋敷がぽつりぽつりあるだけだ。

 沈み掛けた陽の光の中、丘を登りきると、カイラムは振り向いて背後の景色を見た。

 蒼い帳が半分まで降りているバクーの夕景が、広がっていた。

 ガス灯の蒼い瞬きから、港の倉庫街を照らす橙色の蟲油灯、少し緑がかった発光黴灯、それぞれの光が夜の闇に抵抗している。

 カイラムはこの夜景が好きだった。

 綺麗というより、人の逞しさが伝わってくる。

「さて、師匠、首を長くして待ってるだろうな」

 カイラムはそう呟くとバクーの夜景に背を向け、夜目が利く内に家路へ急いだ。