夕焼け色の再会


ひとしきり泣いて、なぜ泣いているのか自分でもわからなくなり、馬鹿馬鹿しくなって自然と涙は止まった。

けれど自分自身にとても、苛立っていた。



バルコニーに出て熱くなった目元に涼しい風を当てる。

どこにいても、私は結局私のままだ。



どこで生きるかではなく、どう生きるか。

どうあるべきかではなく、どうありたいか。

それを考える方が大切だとはわかっていても、無意味な思考を、ここに来てまで繰り返す。



どこまで愚かに落ちぶれれば気が済むのだろう。

こんなのは自分を追い詰めて、窮地に立たされたスリルを感じて快楽に浸っているだけだ。



同情なんかいらないと他人を撥ねつけて、孤高の存在になるのは快感だ。

誰よりも可哀想な自分、けれど健気に生きている自分、過去のあやまちを悔いている自分、同じあやまちを繰り返す自分。


そんな自分が嫌いだとつぶやきながらこんな生き方を選んでいるのは、紛れもなく私自身だ。