3日後、アボジ(親父)は退院し、その夜俺は東京医大に遣ってきて、瀬戸外科部長に今までのお礼の挨拶をした後、部屋を出る際にアボジに関する病気の記憶を消し去った。
そうして、次々に担当のナースやスタッフから記憶を消していき、序でにMRIやCT画像、カルテやら関連書類全てを回収し終えたのは、2時間後であった。
それらを車の助手席に放り投げ、シートを倒した。
この間アボジの体から癌細胞を取り出した時から、疲れ易くなっていた。
あの力は、かなりには体に負担をかけるみたいだ。
3日経った今でも、あの時の気だるさが抜けきっていないのだ。
その状態でまた、先ほど記憶操作を行ったものだから、軽く目眩もしているし頭痛も酷い。
10分程横になったのち、おもむろにシートを起こして車のエンジンをスタートさせた。
本郷にある俺のマンションに戻って来たのは、深夜の2時を過ぎた頃であった。
リビングに入ると、ヒンヤリとした空気が流れ込んでいて、窓を開けっ放しのまま出掛けた事を思い出した。
リビング奥の窓を閉め、寝室に入ると服も脱がずそのままベッドに潜り込んだ。
翌日、9時に目が覚めた俺は、ボーッとする頭で今日の予定を整理しながら頭ん中に刻んでいく。
昼前には会社に行って、片付けなければいけない用事があったのを思い出した俺は、慌ててシャワーを浴びて新宿にある新星MUSIC 日本支社へと向かった。
『おはようございます。』
次々に社員達が挨拶をしていく。
俺も丁寧に頭を下げながら、
「皆さんおはようございます。」
挨拶を返しながら、自分専用の常務室へと入って行った。
『高山常務、おはようございます。』
と言いながら、俺の専属秘書の河西良忠が部屋に入って来て、俺のデスクに入れたてのコーヒーを出してくれる。
もちろん彼も在日韓国人である。
本名は、河良忠と書いて、ハ・ヤンチュンと言う。
俺は、いつもハ秘書って呼んでいるが、奥さんからはヤンヤンなんて呼ばれているって、酔った時にポロッと照れながら話してくれた。
新婚ホヤホヤの28才で、頭のキレる出来る男だ。
「ハ秘書、おはようございます。
今日、予定されてるCALMの新曲のPV撮影の打ち合わせは、何時からですか?」
『12時から、2階のEルームになっています。』
「それから、社長が進めていた中国からの音楽留学生の件は、どうなりましたか?」
『新星音乐学校 (新星音楽学校) 北京校と上海校で結果を出した生徒から、選抜して毎年10名を韓国のソウル校へ、そしてその中の5名が翌年日本の東京校へと言うシステムをとると、本社から連絡が有りました。』
「イミグレーション(入国管理局)や国際交流センターへの申請状況はどうなってますか?」
『こちらの書類に目を通して最後にサインを頂けましたら、私の方で処理しておきます。
それと本社の方からの要請なんですが、受け入れた留学生の留学先での身元保証書の添付なんですが、新星MUSIC 日本支社名義でとのことでした。
本社と支社でそれぞれ分けて提出するそうです。』
「以前の様に本社一括って訳にはいかないんだな!
入管法が変わってから、いろいろと提出する書類も変更してめんどくさくなったなぁ。」
等と独り言を言いながらも、必要書類全てに目を通して、次々とサインをしていった。



