「記憶障害?」

「全生活史健忘の可能性があります。」

「先生。分るよう説明してください!!」

「チセさんの場合、頭部外傷の影響で。」

両親と医者は深刻そうに話している。

彼は私の横に座り本を読んでいる。

ヘルマン・ヘッセの「郷愁」

「貴方の名前は?」

私は恐る恐る聞いた。

彼は本を閉じやさしく返事をした。

「桐生紘輝。」

私はその響きに懐かしさを覚えた。

「私、何も覚えてないの。」

「うん。知ってる。」

「桐生さんの事も。」

私は白い無機質な天井を見つめながら言った。

「でもね、桐生さんを本能が覚えてるの。でも、それが何かは分らないの。」

何も分らない不安と自分に腹が立つ。

涙が溢れてくる。

「ごめんなさい。」

声が震える。

私の手に温かい感触が電流のように走った。

桐生さんの手が私の手を握っていた。

「今、僕は凄く嬉しいんだ。」

優しい声、

綺麗な顔は私を見つめてる。

「チセは今生きてる。それだけで凄く嬉しい。」

桐生さんは続けた。

「チセが僕を覚えてなくても、僕はチセを何度も愛するよ。今のチセも昔のチセも。」

この声も香りも温度も

身体が覚えてる。

きっと桐生さんは私の恋人だったんだ。



「チセ。愛している。」
 


桐生さんは涙を流した。

私はこの愛してるを聞く為に生きている感じがした。


窓から見える青い空

私の記憶のピースはどこ?

神様が隠してる

私は絶対に神様に返してもらう。