しばらくして
 
 私の視界には白衣を着た医者と

 低いしゃがれ声の主がはいってきた。

 みんな私に話しかけているけど、

 若い男は私を見つめたまま
 何も言わない。

 彼が私を見つめるまなざしは

 感動とも歓喜とも言い表せない。

 例えるならば、
 遠い空を見つめる花のような感じだ。
 
 なぜだろう。

 私は彼に見つめられると限りなく切なく、

 また言葉にならない感情が私の心を締め付ける。
 しばらく、私たちは見つめあっていた。

 忙しい周りの声が少し小さく感じた。

 私とその人だけ時が止まったみたいだった。
 



 「チセ。」



 彼は小さく呟いた。

 吐息交じりの声ははっきりと聞こえた。

 
 そして、私の鼓膜を震わした。
 

「深町さん?聞こえますか?」


 医者が私を覗きこんでいる。

 私はフカマチなのだろうか。

 まったく分からない。

 私は自分の名前が分からない。
 
「言葉がでないの。」
 
 と言いたくても言葉が音になってでない。

 のどを震わせない。

 声じゃない音がのどから鈍く洩れる。
 
 

 「3年ぶりに筋肉を使っている訳ですから、まだ声が出にくいのでしょう。」

 
 医者は話した。
 



 3年ぶり・・・?




 私が何も分からないのに関係があるのだろうか。


「先生、チセは大丈夫なんですよね?」


「お母さん心配ありませんよ。もう意識は戻ったのですから、後はリハビリをがんばるだけです。」
 

 この人はどうやら私の母らしい。

 と言う事は低いしゃがれ声の方は

 きっと私の父なのだろう。

 では、彼は兄なのだろうか。

 いや、違う。兄弟ではない。
 
 もっと違う大切な特別な何かだ。

 直感で私は考えた。

 でも、

 
その先の思考回路がどうもうまくいかない。