「おい、総司」

 壬生に在る八木邸の、と或廊下。

 まるで獣が咆哮を上げたような声が、八木邸の廊下で響いた。

 縁側に腰をかけていたその青年は、ピクリと耳を動かすと、険しい表情をしてみせた。つい先程までは、膝に頬杖をつきながら、穏やかな顔で、桜をのんびりと眺めていたというのに。

 ハァッ。

 青年は溜め息を一つ、溢した。

 このまま無視してしまおうと、青年は、再び桜の方へと目を向ける。

「おい、聞こえていないのか!」

 どすどす、どすどす。

 と。遠くから響く、偉そうなその音は、耳を澄ませてみれば聞こえてくる。

 低く、鈍い足音の持ち主を、この青年は知っている。

「総司!」

「あー、もう! そんなに名を呼ばれずとも気付いていますよ。本当、土方先生は口煩いんだからさあ、厭になるよ」

 青年基、沖田総司(おきた そうじ)は、わざとらしく唇を尖らせると、裸足のまま庭へと飛び降りた。

「待て、総司! 逃げるつもりか!?」

「逃げるだ何て失礼な。前川邸に戻るだけですよーだ」

 たったかと独りでに走ってしまう沖田の奔放ぶりには、土方歳三(ひじかた としぞう)も頭を悩ませてしまうものがある。

 元より。土方何かは、沖田に用があるから八木邸へ来たのだ。当の本人が逃げ出してしまっては、用も言えない。

「勇さんとこに行ったかな、アイツ」

 チッと舌を打つ。

「自由だなあ、羨ましいよ」

 土方は、庭の先に飛び回っている蝶々を沖田と重ね、ただただ苦笑した。