生きているから悲しいこともある、そして勿論、嬉しいこともある。
それでもみんな限りある人生を精一杯生きていると。
いや、どんな動植物達も、過酷な自然の中に生きる者は皆、精一杯などと意識の有無は関係なくとも、その存在理由を全うしているのだろう。
それでも、それを精一杯と言わずして、何と表現できようか。
たとえそれが残酷で、配慮のない弱肉強食の世界であっても、それが当たり前。
だからこそ、皆、明日を、それどころか今日を、今を、その瞬間を生きる為に全力を注ぐ。
そこに力強さと危うい脆弱さを感じ、それこそが美しいくもあり儚くもあるのだ。
それが人間であっても、この平和な時代にあっても、根底に流れるものは変わらない。
安心、自信、自由、追求する豊かさ及び幸せという尺度は、実は残酷で、そこに平等など皆無だ。
その本質を、歌の中に表現しようというのは、本当に凄いことだ。
嘘で飾った言葉には、説得力どころか、ましてや人々への共感、感動は与えられない。
そこらへんの綺麗事を並べた、愛だの恋だの胡散臭いラブソングの類とは、逸脱していると言っても過言ではない。
そのような歌詞を好んで書いている者も少なからずもいるようだが、まあここでは何も言うまい。
嘘臭い言葉を羅列するなど、気味が悪くて悪寒さえ覚える。
だから、私は、いつでも嘘のない人生であれと願うばかりだ。
私も何時かは、「生きること」についてをテーマにし、歌を作りたいものである。
その時は、みんなの歌に載っているような、老若男女、世代を越えて愛される歌になれば理想だろう。
まあ夢のような話だ。
それでもみんな限りある人生を精一杯生きていると。
いや、どんな動植物達も、過酷な自然の中に生きる者は皆、精一杯などと意識の有無は関係なくとも、その存在理由を全うしているのだろう。
それでも、それを精一杯と言わずして、何と表現できようか。
たとえそれが残酷で、配慮のない弱肉強食の世界であっても、それが当たり前。
だからこそ、皆、明日を、それどころか今日を、今を、その瞬間を生きる為に全力を注ぐ。
そこに力強さと危うい脆弱さを感じ、それこそが美しいくもあり儚くもあるのだ。
それが人間であっても、この平和な時代にあっても、根底に流れるものは変わらない。
安心、自信、自由、追求する豊かさ及び幸せという尺度は、実は残酷で、そこに平等など皆無だ。
その本質を、歌の中に表現しようというのは、本当に凄いことだ。
嘘で飾った言葉には、説得力どころか、ましてや人々への共感、感動は与えられない。
そこらへんの綺麗事を並べた、愛だの恋だの胡散臭いラブソングの類とは、逸脱していると言っても過言ではない。
そのような歌詞を好んで書いている者も少なからずもいるようだが、まあここでは何も言うまい。
嘘臭い言葉を羅列するなど、気味が悪くて悪寒さえ覚える。
だから、私は、いつでも嘘のない人生であれと願うばかりだ。
私も何時かは、「生きること」についてをテーマにし、歌を作りたいものである。
その時は、みんなの歌に載っているような、老若男女、世代を越えて愛される歌になれば理想だろう。
まあ夢のような話だ。


