スマイリー

「よく食べたわ、本当に」



吹き付ける風にシルクのような黒髪をなびかせながら、藍はにこにこと笑みを絶やさなかった。藍の笑顔は街灯に照らされた通りをさらに明るくする。



「しかもタダで。たった一食でも下宿生にはありがたいわ」



「電車代がかかってるじゃないですか」



「細かいことは良いのよ。ねぇ、ちょっと歩かない?」



進は携帯を取り出してそのディスプレイを覗き込んだ。



9時前。思ったより長居した。明日は土曜日だが、補習がある。終電は確か11時30分頃。



「ね、進。ちょっとだけ」



藍は進の服のすそを少しだけつまんで、引っ張った。



「…分かりましたよ、もう」



嫌々な口調で返答しようとしたが、口元がほころんでしまうのは仕方がない。藍の甘ったるい声が、進の脳に直接響いてくる。



「ありがと。じゃあ、行きましょう」



進の町から電車で1時間弱。都会の喧騒の中を2人は軽快に歩いた。いや、厳密に言えば軽快に歩いているのは藍で、それに軽快なわけでなくただ歩調を合わせているのが進であった。







ちらほらとクリスマスを匂わせる装飾をほどこした店が並び始めている。あと1週間もすれば街灯や並木にも電飾が巻かれ、淡い雪色のライトで町全体が明るく照らされるのだろう。



そう考えると、心なしかまちゆく人々がそわそわと浮き足だっているように見えて仕方ない。年に一度、日本の子供たちが無条件に幸せになるその日に向けて、年末独特の忙しさを湛える大人たちの顔にも、いくぶんかの歓喜的な表情がうっすらと刻まれている気がする。



今年の進には、多分クリスマスはない。形式だけの冬休みは、ほぼ毎日学校で自習。夜は予備校で冬期講習だ。



でも、このクリスマスがどんどん近付いてくる空気はやっぱり好きだ。一緒に過ごす相手は、多分予備校のクラスメイトだけど。







藍は、誰と過ごすのか。



そう考えてちくりと胸が痛むのは、藍が“好きだった人”にはまだなりきっていないからだろうか。



それでもご機嫌な藍の横顔を壊すような気がして、それを聞くことはままならなかった。