アナが考え事をしていると、あたりが不意に暗くなりはじめた。

朝に見た海の向こうに見えた雨雲がもう森にまで流れてきたようだ。

明かりになるものを点けようかと考えて、アナは叔父に言われていた大事なことを思い出して青くなる。

(『森の中を通るときは、昼間でも獣よけのランタンを点けろ』)

森の獣のほとんどが夜行性ではあるが、昼間でもまったく安全なわけではない。だから獣の嫌う匂いの薬草を練りこんだ蝋燭に火を点けておかなければならなかったのだ。

旅支度でちゃんと入れておいたのに、探索に出ている叔父達のことが気がかりですっかり忘れていた。

慌ててランタンを準備しようとしたアナの耳にガサガサと茂みを揺らす音が聞こえた。


とっさに、とにかくランタンを出して火をつけるべきか、走って逃げるべきか判断に迷った。

その一瞬の迷いを待っていたかのように、それは森の奥から一気にアナに向かって距離を縮めてきた。姿は暗い影になって見えないが、気配はものすごい勢いでアナに迫ってくる。

アナは恐怖にすくみそうになる自分を叱咤して走り出した。しかし、獲物を狩ろうとする獣相手に旅慣れぬ娘が逃げ切れるはずもない。足音が近いと思った次にはもうその息遣いが聞こえ、アナは無意識にしゃがみこもうとして、次の瞬間足場を失っていた。


すでに夜のように暗くなっていた川沿いの街道を闇雲に走った末、道をはずれたアナは崖を滑り落ちたのだ。

なにがおこったのか考える間もなく、その身体は冷えた川の水の中に放り出されていた。

アナの短い悲鳴は暗い川に飲み込まれ、崖の上では獲物を捕らえそこなった獣が低く唸って、すぐに去っていった。