さっきまでは嫌いだの吐き気がするだの言っていた割には、案外私は彼の事が好きだ。彼の一言で私は天国へも地獄へも行ける。愚かな話だ。

瞳を閉じれば、彼の家に私が住みはじめた時の事を思い出した。お父さんを早くに亡くしたわたしはお母さんと2人暮らしをしていた。その2人で生活するには広すぎる家に、ある日顔をひょっこり出したのは青柳さんだった。わたしはその時、青柳さんと関係を持ってすぐだったから、その時のことと、青柳さんに対する自分の想いを左右に浮かべて顔を紅潮させながら玄関先の隅に隠れて話を聞いていた。その時、彼はもう大活躍中のサッカー選手だったから、家を訪ねてきた時の母親の顔は傑作だった。と、彼は言っていた。
「娘さんを、僕に預けさせてくださいませんか」
今思えば、お前、僕なんてキャラじゃないだろと突っ込みたくなる。いつもの態度なら「お前のところのクソガキを俺に預けてみろよ」と言うのが当たり前のようなものなのに、彼は真剣な瞳でお母さんに頭を下げた。お母さんはびっくりして私の所に寄り「何、あんた何があったの」と小さく、でも動揺を隠せない声で私に言った。
わたしは頬を紅く染めたまま、口を開いた。
「お母さん、わたしこの人とお付合いしているの」
結婚の約束もしてる、セックスもした。
吐いた言葉は殆ど嘘だった。青柳さんに言えと言われた通りに口を動かす。さすがに最後の言葉は言えなかった。が、残念ながら最後の言葉は真実だ。そして、はじめに言った言葉がもうじき真実になる。そのことは誰が予測できたことだろうか。きっと青柳さんにも予測できなかっただろうな。

お母さんは嬉しそうに、でも一瞬悲しそうな顔をしてから、青柳さんの所へ戻り、頭を下げた。「まだまだ子供で、未熟な子ですが、宜しくお願いします」