海と微熱の狭間で

原野が可純の持っている聖書を見た。

「なに?無信仰じゃないの」
アダムとイブ、の言葉に気付いて原野は酷く辛そうに顔を歪めた。
可純はそれを静かに眺め、また視線を元に戻した。

「…無信仰だよ。私は、私だけの思想を持ってる」

聖書を閉じる。
可純はでも、と続けた。

「神の存在は信じているけどね」
原野が聖書を可純から奪い、本棚に戻した。
「どういうこと?」

「キリストや釈迦、孔子…ムハンマドだとか、そういう方々を神だとは思わないってこと」
原野が眉を顰めて可純が持っている儒教の本を指差した。

「じゃあそれはなんだよ?」
可純は原野くんこそ何話しにきたの、と言い返したかったが面倒なので言わないことにする。

「一人の人間としての、言葉を楽しんでるだけ」
「はあ?」
原野の呆れた顔に可純は苦笑してしまった。
「小説とかでたまにすっごいいい言葉があるのね。そういうの名言や格言っていうでしょ。それだよ、感覚的には。神の教え、じゃなくて一人の人間としての名言、そんな感じ」
私にとって気軽なものなんだよ、可純は原野を見据えて言った。


原野の人懐っこい笑みが、今とてつなく見たかった。


だが、原野は歯痒そうに顔を歪めただけだった。


「原野く…」
言葉を封じ込められた。

原野の冷たい唇に。