「大丈夫ですか?」

僕はとりあえず隠れて、目の上だけを出して、少しはにかみながら言うと、「ここでなにしとるぞなもし」と相変わらず地
面を見詰めながら皺くちゃ顔でお婆さんは言った。
そしてゆっくり僕に詰め寄った。
『なにしとるぞなもし』とはどっかで聞いたことがあるなぁ、と少し考えていると、夏目漱石の『坊ちゃん』を思い出した。
『坊ちゃん』で出てくる、いたずら好きの生徒かなんかの言葉だ。
僕は「えぇ、何とか、まぁ入ってるんです」と答えると、「なぜなもし?」と理由を聞くので、もういい加減に来る人来る人に説
明するのが嫌になってしまった。
話題を逸らしたくて「四国の、その、松山の人ですか?」と、僕は質問を質問で返してみた。

するとお婆さんは「愛媛ぞな」と言うので、僕が「みかんが有名ですね」と言うと、「愛媛と言えば正岡子規さんじゃ」と興奮気味に言った。

僕はしばらくの間、お婆さんと話をしていたのだけれども、途中からどうも話が噛み合わなくなったので相槌だけ打っていると、突然お婆さんはが泣き出してしまった。
なぜか僕の頭に救急車のサイレンが鳴り響いた、僕は考える気力も萎え、シンプルに焦りを感じていた。

僕は『どうしよう』そう思った。
「大丈夫ですか」と聞いてみた。

そう聞くや否や、まるでそれが合図のように、お婆さんは太陽に手を振りかざし、突然、平手でドラム缶を叩き始めた。

強烈な撲打音が缶内に反響した。

僕はそんな音を聞いていたら、頭が痛くなってきた。この人は何てことするんだ、勝手に来て、勝手に泣き出して。

「怖いからもうやめて下さい、帰ってください」、僕は本当に心からそう言うと、
お婆さんは「日本男児が怖いなんて言いな!」と言って、更に激しくドンドン続けた。

それが終わると、「もう出て来!」と絶叫して地面を見詰めていた。

僕は訳も分からず「ごめんよ」と言うと涙が溢れてきた。

僕の主張は聞かれること無く、考えることすら許されず、スピードに負けたのだ。僕は早すぎたのだろうか、それとも遅過ぎたのだろうか。それすら解らないままに。