香山さんは静々とこんな事を言った。その言葉の前では恋なんて言葉は無意味だった。
僕が一時的に懐いた、炎を超える想いなんてものは嘘に思えた。
僕は香山さんの心の恐らくは物凄く深い所に触れた。
彼女は少なくとも僕よりは大人だった。
大人の定義なんて物は解らない。
けれども決定的にそう思った。
香山さんは僕なんかよりずっと大人なのに僕なんかより、ずっと悩んでいた。
彼女の話のどこに僕に適応する部分があると言うんだろう。

『二回目のあの愛してるは誰に言ったの?』

この問い掛けを黙殺する事は彼女にとって物凄く冷たい事なのに、僕は黙殺した。

「音羽君、ねぇ、愛はひとつしかないの?」
しばらくして香山さんは掠れた声でそう言った。

『愛とはそれぞれにひとつしか無くて、無限に溢れているもの』、僕がそう言い掛けると喉の裏が凍り付いた。そんな事が解るはずがない。
僕は何とか、「子を思わない親はいないし、親を思わない子はいない」そう答えた。
心の奥底では『そんな事すらわからない』、僕は呟いていた。
香山さんは「あなたも愛は生きてなければ意味が無いと言うのね・・・心に届かなければ意味が無いと言うのね・・・」そう最後に呟いた。
僕はまたその問い掛けを黙殺した。

僕は子供だった。
ドラム缶に入ってしまう様な大胆な事はできても、自分の想いすら上手く纏める事も出来ない。
香山さんは藁をも掴む気持ちで、必死に大人になろうとしているのだ。
大人になると言う事はどういう事なんだろう。
ある本によると、『例え後悔があっても、さよならを言う事が出来ると言う事』らしい。
僕にはその意味がわからない。
「そんなさよなら」は要らない。
「そんなさよなら」は今のところ無い。
『さよなら・・・』
桜は葉桜に変わっている。
とりあえず、僕は桜にそう呟いた。