The World


「我慢って……」

目が合ったと思うと、ぐいと頭ごと引き寄せられてしまった。
先生の熱に触れると温かくて、まだ空気が冷たいのだと改めて感じさせられる。

止まったかと思っていた涙が再び流れていく。

先生は何も言わない。
ただただ私の頭をぐっと抱き寄せるだけ。
それでも、それだけでも、優しくて、愛しいと思った。

涙は流れ落ちることなく、先生の胸に染み込んでいった。

「先生、好きです」

もうどうしようもないほどに。

体が離れ、涙でいっぱいの視界越しに目が合う。

「顔ぐっちゃぐちゃだぞ、お前」

慌てて顔を背ける。
なんて非道い返事だ。
誰のせいでこんなに泣いていると思っているのだろう。

非道い顔を手で拭うと、黒いマスカラが付いた。
さらにぐちゃぐちゃになったような気がする。

「おい」

顔を上げると、先生は着ていた白衣を脱ぎ始めた。胸が静かに喚く。
そして、脱いだ白衣を私に押し付けた。

「四月一日」

「え?」

「四月一日だ。何の日かわかるか?」

白衣にはまだ温もりが残っていた。

「エイプリルフール、ですか?」

「黒木、お前が部外者になる日だ」


――私が、生徒じゃなくなる日。


胸がじんじんに痛む。
涙も止まらない。


「四月一日、返しに来い。お前のせいで汚れたんだよ」

「百田先生……」

「わかったらもう帰れ。今日で、この台詞も最後だ」

そう言って、ドアを顎で指す。




――ふと振り返ると、白衣を着ていない先生と見慣れた部屋の景色が、霞んでしまいそうなほど儚く感じて、胸が押し潰されそうになった。


白衣をぎゅっと抱き締める。微かに煙草の香りがする、ような気がした。
ドアを閉めると、パタンと音が鳴った。



ため息 ―the last day―