雲が淡く茜に染まり、ひとひらの花が零れゆく。風は春を運んで柔らかに包み、開け放たれた窓からは、校庭に残る生徒たちの声がやけに響いた。

がらんどうになった教室。綺麗になった黒板を眺めながら、私はただ、泣いているだけ。


言えなかった。

胸の花をくださいということも、ネクタイを譲ってということも、ボタンを頂戴ということも。


‥好きだと、いうことも。


今までの思い出がぐるぐると廻って、それだけでも景色が滲んでしまうから。その顔どころか、声を聞きに行くことも出来なくて。


景色は、あの時と同じなのに。


大好きなあの音は、もう聞こえない。

大好きなあの人は、もう‥っ、居ない。


堪えきれない泣き声は、大きく大きく空っぽの教室に響き、風は相変わらず、優しく髪を撫でるように流れた。

その時--‥


「え、」


その優しい風に乗って、微かに耳に届いたその音。私は椅子を倒して窓へと走り、身を乗り出す。


「まさ、か‥」


走って走って駆け上がって、胸が苦しくって。小さく小さく震えながら縮まっている心臓を、グーで強く押さえつけて。


「先輩‥っ」


ようやくたどり着いたその鉄扉を、走ってきたスピードのままでバンッと勢い良く開ければ‥


「せん、ぱ‥わっ!!」


私はまたしても、扉に体重を預け過ぎて派手にコケる。


「ぷっあはははは」


見上げれば、大好きなその笑い顔に、ドキンと大きく跳ねるの。


「またコケんだ。あの時と同じだな」

「せんぱ‥何で、此処に」

「ん」


差し出された手に掴まれば、ヒュッと身長が伸びて、ギュッとその腕の中に入った。


「あの日と、同じだから」

「え?」

「ここでこうして弾いてれば、お前が来るかな‥ってさ」


ネクタイもボタンも花もなにもない、空っぽな制服。


「ほら、俺、ハーメルンの笛吹き男だからさっ」


そう言ってははって笑った顔、やっと見ることが出来て。そしたらまた、涙がこみ上げてきて。


「泣くなって」

「だって、だって‥」


頬を拭ったその指は、とても温かくて。


風は春の花を舞い上げ、私に魔法をかけた楽器は、茜を照り返して金色に輝いて。

転んだ時の膝が、ズキズキとしたけれど。

心は、ドキドキと愛おしい想いでいっぱいだから。




「俺な、お前のこと‥」




おわり。