六月に入ってから、柏木さんの身辺が慌しくなった。


朝早くから出社(これは変わらない)して、一日中パソコンに向かってTOYOエクスプレスの造船入札の件で、ずっと国際会議に参加している。


会社のパソコンでは足りないのか、自分のノートパソコンを持参してくるしだいだ。


ヘッドフォンマイクを装着して、腕と脚を組み、背もたれに深く背を預け、しきりに英語で会話している。


「No!No no no!The price is very impossible. No Earthly Business!(いいえ。その価格では無理です。お話になりませんわ)」


強気だな……


俺は唖然とした。


全体的な会話は分からないが、俺にも単語を拾って訳すことはできる。


価格を吊り上げる巧みな交渉話術。


ぎりぎりのラインで繋ぎとめる、危うい駆け引き。


うまいな……


正直にそう思った。


柏木さんは接客は苦手と言っていたが、その気になれば俺なんかよりずっと使えそうだ。



佐々木はそんな柏木さんを見て、呆然と手を止めてる。


「佐々木。手が止まってるぞ」


俺が注意を促すと、佐々木は、はっと我に返った。


「すごいですね、柏木さん。本領発揮って感じですかね?」


柏木さんの集中を邪魔しないように、気を遣いながら佐々木は小声で囁いた。


「そうだな。ま、お前もがんばれ」


気の無い返事を返して俺は席を立った。


「どこへ行くんですか?」


「秘書課に呼ばれてるんだよ。この間の稟議が通ったみたいだから」


正直稟議書なんていつでも良かった。


でも、柏木さんの傍にいても俺が彼女を助けてやることもできない。


その無力さと、押し寄せてくる焦燥感にさいなまれてこの席に居るのが居づらい。