時々バアーに言われていた。
「あの人は母親だよ。お母さんって呼ばなきゃダメなんだよ。」
私にはよく分からなかった。
―じゃぁ、なんで幼稚園に来てくれないの?
なんで、お泊り会の準備してくれないの?
なんで、あんなに恐いの?
もし、外でお母さんを見つけたら隠れた。恐いから。バレた。
すっごく怒られた気がする。

ある日、親の家に泊まりに行かされた。
バアーの家は和式だったため、洋式の家は感激した。
だが、居心地は良くなかった。夜、布団の中で泣いた。バアーん家に帰りたいと。バレないように泣いた。
その日を境目にお母さんが時々、私を幼稚園へ送った。嫌だった。

小学校に入学する直前に、私は両親に引き取られた。
新しい学習机を選ぶにも、自分の意識が言えなかった。「これがいい!」さえも言えなかった。
そこから、最悪な10年は始まった……。

父がゲーム好きなのもあって、ファミコンのゲームは与えられた。
当日の母親の趣味のブランドの服を着させられてた。
毎週水曜日はプールの日だった。
今はもう忘れたが週1ピアノの日だった。
土曜日はバアーの家に泊まりに行けた。
一見、大切に育てられてると見える。

だが、鉛筆削りのかすが溜まってるだけで打たれた。
私は泣いたけど、あの、お母さんは隠した。
「ただ、注意しただけよ」と。
私はお母さんは、とても厳しいんだと思った。
小学校1年で、食器の洗い物を強制的にやらされた。
プールの日はどこで見られてるのかと、ドキドキしながら習ってた。

放課後、遊ぶなんて出来なかった。
服を汚したら、また、殴られた。
だから汚した時はバアーの家に寄った。

そうして始まった。