「…でも、彼女は覚えてないでしょう」
 その残像を頭の隅へ追いやりながら口を開く。
 「ええ、覚えてないでしょうね。」
 間髪入れず返ってくる小林さんからの返事
 「だったら…」
 ほっておいてくれ。
 そんな本音が溢れるより早く、小林さんが言葉を続ける。

 「でも明日の朝、目が覚めて自分が私の家に居ることに気づいたら、美沙はきっと誰が運んでくれたのかと聞いてきます。私一人で運べるわけありませんからね。」
 小林さんはそう言って小さく身じろいだ相羽さんの髪をかきあげてやる。
 「美沙がそう聞いてきたら、適当な事は絶対言いません。私は本当の事を言いますよ。」
 だから観念しろとでも言うような、小林さんの真っ直ぐな視線が突き刺さる。

 友人を思うが故の行き過ぎたお節介だ。
 だけど、お節介だろうが迷惑だろうが、彼女には強い意志が見えた。
 対して俺には何もない。

 ふっと息を吐くと俺も小林さんの方へ向き直る。
 「だから…俺にどうしろと?」
 俺の抵抗する気の無いのを理解したように、小林さんの腕が離れ、彼女の膝の上に戻った。
 そして今度は人の良いあの笑顔で、俺に要求を突き付ける。
 「一回でも良い、美沙と連絡をとってあげて下さい。良ければこの子が素面の時に、会ってあげて欲しいんです。」
 彼女の立場を考えれば至極真っ当な要求だ。
 同時に、それは俺にとってこれ以上ない苦痛を強いる申し入れだった。
 「…俺はもうただの一般人です。マキはもう『ここ』には居ない……いや、俺はマキの出がらしみたいな、何もない人間です。彼女がもしあなたの言う通りマキを想ってくれているなら、俺は会うべきじゃない…」
 俺の言葉を聞いて小林さんはふっと微笑んだ。
 「それはあなたがそう思ってるだけですよね?大丈夫、美沙にもあなたにも、幻滅なんてさせません。私が保証します。」