私の支えは、音楽であった。
椎名林檎や、浜崎あゆみ、宇多田ヒカル。
どれも、単に流行の歌手でしかなかったが、時には涙を流したものだ。

放課後は勿論一人で、暇なので、四十分かけてバスに乗り、駅前の図書館で読書や勉強に勤しんでいた。
勿論、宿題のことは忘れて、自分の大好きな考古学の発掘記録を眺めたりしていた。
丁度、母親は私が五年生になったとき、駅前の不動産屋に転職したので、帰りのバス代を気にする必要はない。

ある日、私は『小学六年生』の付録を読んだ。
私立中学の案内書である。

やはり、私は佐藤を恐れていた。
中学校は、すぐ隣である。
故に、中学校の噂はすぐに小学校にも伝わる…。
つまり、佐藤がいつ殴り込みに来るのか、予想もつかないのだ。

私は、私立中学を受験することを決めた。
母親は『無理だ。』と言い、祖父は『東大合格者ランキングに載るような学校だからな。絶対受かれよ。』という中、
昼は学校。夕方は閉館するまで図書館で勉強、母親の仕事が終わる頃には一緒に帰る。という生活を続けていた。
六年生の秋には更に本格的になり、東大院生の家庭教師に授業を受けた。

だが、やはり、告知義務は無いのに、何故だろうか。
とあるクラスメイトの母親が佐藤に私の受験を告げ口したのだ。
三学期の始業式直後、佐藤にボコボコにされた。
何を言っていたかなど、覚えてはいない。