菜々はもう泣いてはいなかった。
そして、通りすぎようとした僕の腕を力強くつかんだ。
「だったらキスして。」
漆黒の瞳がゆれる。
「そうしたら忘れられるから。忘れるから。戻ってこなくてもいい。軽蔑されてもいい。
一瞬だけ、私を見て。」
そのすがりつくような目を、僕は初めていとおしいと感じた。
「僕の体は、心は、雪で満たされている。
その唇で、菜々に触れることはできない。」
振り離したその手に、力はなかった。
前に進む。いや、もしかしたら後退しているのかもしれない。
それでも、僕は雪なしでは、体なしでは生きられない。