「…ううん。何でもない」

暗くなった表情を私に覚(さと)られまいと、俯(うつむ)きながら、答えるゆき乃を見ながら、辛い思いばかり抱かせていると改めて思う。

本当にすまないと思う。

互いに、言葉にならないもどかしい気持がそこにあると知りながら、どうする事も出来ない。

前に進めない。

解けない紐を解こうとしている内に、それがさらに絡まっていくような。

そうして、絡まった紐に自ら絡めとられ身動きさえ取れなくなってしまったような。

そんな感覚。

進みたいと、この場所ではないどこかに行きたいと思うほどに、がんじがらめになっていく我が身を、今は呪うことしかできない。

ゆき乃はおもむろに立ち上がり、テーブルの上に並んでいる空になった食器を片づけ始める。

無言の中カチャカチャと食器同士がぶつかる音だけが響く。

「まだ飲む?」

ゆき乃を見るといつもと変わらない笑顔。

「えっ?」

何のことか分からず、思わず声を上げた。

「ビール」

「あっ…うん。もう一杯もらおうかな」

「ちょっと待ってて」

そう言いながら、重ねた食器をお盆に載せ台所へと持っていく。

台所の前にかかったレースの暖簾の向こう側から冷蔵庫を開け、ビールを取り出す音が聞こえる。

「今日はこれでおしまいですよ」

そう言いながらビールを手渡そうとした時、指と指が触れる。

ほんの一瞬の事だった。

なのに、何故か胸の高鳴りを覚え、自分のその感情に焦る。

目の前には、もうゆき乃は居ない。

あるのは手渡されたビール。

ゆき乃はもう台所で食器を洗い始め、蛇口から水の流れる音が聞こえる。

ふと、自分が娘に、ゆき乃に欲情していることに気づく。

プシュッ

缶を開け勢いよくアルコールを流し込む。

少し強めの炭酸がのどを気持ちよく刺激し、自分の感情を忘れさせてくれるような気がした。

「あっ。グラスそこにあるでしょう。横着しないでください」

微笑みながらそう言うゆき乃を見て、喉の奥をきゅっと締められるような切なさを感じる。

注意するゆき乃の声を聞きながら、再び缶を傾け、流し込んだ。