翌月の2001年6月7日
彼から急に切羽詰った声で電話があり、
お父さんが危篤だから、実家の東京に帰る。
この時に、初めて知りました。
彼のお父さんは末期癌で先月から非常に危ない状態にあったという事を。
私は、だからここ一ヶ月彼は
異常に暗かったり、
就職が決まったのに、どこにも遊びに行こうとしなかったんだ
と納得がいきました。
しかし、同時に
そんな大事な事を私に一言も言ってくれなかった事がすごくショックでした。
その夜、彼から電話があり
お父さんが亡くなったと聞きました。
私は「お葬式に行く」と言うと、
彼は、静かに「来なくていい」と言いました。
その言い方が必要以上に冷たく聞こえ、
私は彼がショックを受けているのに、
私の事必要としてくれてないんだ
と、わがままを言ってしまいました。
すると、彼は、
こんな時にまで俺を困らせないでくれ
と言って電話を切ってしまいました。
その晩、必要とされてないと感じた私は
一晩中泣きました。
一週間後、学校もあった彼は
関西に戻って来ました。
私は、どうしても前のように彼に接することが出来ず
本音を言えなくなり、
甘えられなくなりました。
彼にとっての私は
彼の気持ちを理解しない女になりました。
彼から急に切羽詰った声で電話があり、
お父さんが危篤だから、実家の東京に帰る。
この時に、初めて知りました。
彼のお父さんは末期癌で先月から非常に危ない状態にあったという事を。
私は、だからここ一ヶ月彼は
異常に暗かったり、
就職が決まったのに、どこにも遊びに行こうとしなかったんだ
と納得がいきました。
しかし、同時に
そんな大事な事を私に一言も言ってくれなかった事がすごくショックでした。
その夜、彼から電話があり
お父さんが亡くなったと聞きました。
私は「お葬式に行く」と言うと、
彼は、静かに「来なくていい」と言いました。
その言い方が必要以上に冷たく聞こえ、
私は彼がショックを受けているのに、
私の事必要としてくれてないんだ
と、わがままを言ってしまいました。
すると、彼は、
こんな時にまで俺を困らせないでくれ
と言って電話を切ってしまいました。
その晩、必要とされてないと感じた私は
一晩中泣きました。
一週間後、学校もあった彼は
関西に戻って来ました。
私は、どうしても前のように彼に接することが出来ず
本音を言えなくなり、
甘えられなくなりました。
彼にとっての私は
彼の気持ちを理解しない女になりました。
