涙の浮かぶ目の中に、黒い虫が通った。


蝶のようにひらひらと浮かんでいたけれど、影しかみえない。


涙のせいだろうか、と拭ってみると、蝶の姿なんてどこにもなかった。


「獅子」
 

美冬は襖の向こうの子を呼んだ。


「今、蝶がそっちに行った?」
 

声は細く、揺れている。


「いいえ、母様。今は冬だよ。蝶なんていやしないよ」
 

そう言われて窓の外を見る。


たしかに冬だ。


このはたはたとおちる雪は、この寒さは、たしかに冬だった。


「そうね。蝶なんていないわよね」
 

そうは言っても、たしかに美冬は蝶を見たのだ。
 

廊下で大きな足音がする。


それを聞いて美冬はため息をついた。


滝に違いない。


私の所に来た獅子を連れ戻しにきたのだ。


「獅子、獅子」