「近藤くん……」
――自分たちは付き合っていて。
好きな人の音をした名前を聞いて、初めて自分という意味を持つ。
名付け親より一過性になるかもしれない恋人に呼ばれる方がありがたいだなんて、
薄っぺら恋愛の癖にと呆れられるのは百も承知だ。
それでも、大切な人が大事に奏でる――この世界で暮らす存在を示す言葉は特別で、
皆が居るから生活できている恩を忘れ、あなただけの為に必要とされていると浸ってしまえる魔法の呪文となる。
例えばクラス替えをしたばかりは名字で呼んでいて、
暫くしてあだ名で呼び合うようになる感覚はこそぐったい。
揺らぐ土台をしっかりと正してくれる歌。
洋平が居てくれなくてはと、必要としてくれる歌。
近藤という名字で生まれて良かったのだと教えてくれる歌。
結衣と親密になる時、それはどんな歌をしているのだろうか。
彼女の声は洋平をおかしくする。
理性を溶かす幻術にかけられてしまうから――だから逃げたくなる。
だって決めさせたのは、あの日の彼女なのだから。
一段一段足を速める。
「貴様は結衣ピョンに飽きてる? 呆れてる?」
風を傷付けないよう丁寧に振り向けば、笑顔の結衣が見上げる高さに居た。
ううん、天使のように浮かんでいた。
一階と二階の中間である踊り場に、儚くも白い人がいた。
表情と口調は通常の癖に、暗に訴えられている真意が痛くて、
やっぱり抱きしめたくなる分、触れることが怖くなる。
「、……は」
頭の中が真っ白で、結衣を気遣う余裕がない。
いいや、こんなことを言わせてしまう自分は、彼女と付き合ってから――最初からずっとゆとりがなかった。
……。
「市井王子が言ってたし。キスするの普通って。」
「…………、……は、? 、キ、ス……ふつ、う?」
「メール来て。市井くんそっち泊まってる時に」
……。
洋平にとって雅は応援してくれる人。
あれは冗談だと思っていたのに――まさかだった。ある意味、裏切られた感満載だ。
悪魔な心を摘発されては、うろたえるしかできない。



